ぼっちの炉

誰に吐き出せるわけでもない焚べてしまいたいあれこれ

何があれば救われて楽になれるのか

 言葉で傷つくのは怖いが、怖いのは傷つけてきた人間でも言葉そのものでもなくて、他人の言葉でダメージを受ける自分を認められなくて責めてしまうのが怖い。暴力と脅迫は除く。

 

 基本自分を責めてくるのは自分だ。ほぼ自分としか喋らないからな。何について責めてくるかって言うともっと上手くやれとか、痛みを感じるなとか、不安を解消しろとか、そういうことだ。地味にダメージがくる。理性部分ではそれが100%達成できると思うなんて妄想もいいところです。今考えてもどうしょうもない。という結論にしかならん。けれど一回その話終わりってしても、このガムまだ味残ってたわ、みたいに繰り返し脳内に出てくる。やめろ。マジで。

 

 正直本当にやばいやつは諦めがつく。というか元のダメージがデカくてそれ以上自分を責める気にならん。むしろ守る。

 

 どこかで悩みは人間関係が10割みたいな言葉を見たけど、私の人間関係の悩みは10割自分に対してではなかろうか。すごい自己中だ。他人なんか知らん。知らんけどなんかされると面倒だからしょうがなく調整している。

 

 あと傷つけるのも怖い。人と話すときはたくさん予防線張って話す。危ないからな。でもどこがどう危ないか全部わかるわけもないから必要なことしか言いたくない。つまり雑談ができない。

 

 他人とする雑談は多分模範質問と解答みたいなのがいくつかあってそれから外れた答えはそもそも想定されていないんだと思う。話しかけられるのが面倒だ。ただ一番まずいのはそうやって面倒だと思うことや、上手く雑談できないことに罪悪感を感じてしまっている状態だ。

 

 罪悪感めっちゃある。何にたいしてかは知らん。自分にかもしれんし誰かにかもしれん。上手くできないってことに対して罪悪感がある。お前はなんだ、全能の神じゃないぞ。ただのしょうもない人間が何アホ考えてるんだと理性はいうけど勝手に発生してるんだ私のせいじゃない。意識でどうにかなってたらこんなに苦しんでない。ふざけないで欲しい。

 

 言えんよね。っていうかこういうこと面と向かって誰かに伝えてもしょうがない。答えも救いも期待してなくて吐き出したいだけだから。

 この言葉に救われたとかないよ。ある人はあるかもしれんけど私にはない。期待したことはあったよ。言葉でも音楽でも本でも映画でも漫画でもなんでも。感動はしてもすぐ終わるし、それで日々の苦しみは消えなかったよ。私より苦しんでいるであろう人をたくさん知ってもダメだった。

 今でも期待したい。救われて楽になりたい。でも何があれば救われて楽になかわからない。作品にできないものを人間や宗教に期待する気には妄想でもできない。

 特に他人に期待するのは無理。期待しているって自分が感じた時点で拒否反応が起こる。危ないって。別に他人にそれほど致命的なことされた覚えないんだけどな。

 

 他人はどうでもいいや。苦しくて楽になりたいって気持ちだけずっとある。どうすれば楽になれるかわかならいけど、書いてる間は時間を潰せる。